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谷本誠一・保護者へのアドバイス 9

将棋道選択は、絶対後悔しないことが条件

平成17年5月17日

 私は将棋を中学1年の時、誰も教えてくれる人が周りにいなかったため、小学館の百科事典でルールを覚えました。その時、取った駒再使用ルールに触れて、感動したことを今でも鮮明に覚えております。
 将棋の盤駒は、私が幼稚園の時、父が買ってきました。折り畳み盤で、裏側(実際は表側?)は碁盤になっており、どちらも利用できるものでした。
そこで父から教わったのははさみ将棋と五目並べでした。小学2年の時、はさみ将棋は絶対負けない方法を悟り、奥義を極めたと自負していました。しかしお盆での親戚の集まりで、従兄弟がその父(私から見れば叔父)と本将棋を指している光景を目の当たりにするにつけ、「もしかして、これが本当の将棋というものかも知れない!」と、ショックを隠せませんでした。しかし、将棋は教えて貰えずじまい。父は勿論将棋に対して無知です。そうこうする内、小学4年の時、近所で将棋がはやったのですが、ルールや駒の動きがめちゃくちゃでした。勿論持駒再使用は知る由もありませんでした。
 百科事典で将棋を覚えた後の中学1年の秋、転校生と将棋を指し、玉頭に金を載せられ、長考していました。数学の先生が横から「これは詰んでいる。」と言っています。「詰み」ということを初めて知り、同時に将棋は王将を取って勝負がつくのではなく、王将を詰まして勝負がつくのであることを初めて知った瞬間でした。
 さて中学2年の時、違う同級生にライバルができ、その彼が急に強くなりました。その種明かしはというと、将棋の本で勉強しているとのこと。そこで私も負けずに本を購入し、その後何冊も読破したものです。もし幼稚園の時、将棋を教わっていたとしたら、私の人生は変わっていたでしょう。プロ棋士になっていたかも知れません。しかし、これも運命でした。本で覚えた将棋は、左脳将棋、つまり理屈の将棋で、上達に限界が来ました。それが、奨励会で嫌というほど体験させられたのです。将棋はできるだけ若い内から、つまり脳が柔軟な時、更には右脳が啓発されている時期から実戦主体で感性を磨く方が、後々上達に好影響を及ぼします。理論将棋だと、棋力の伸びに限界があると思います。
 それでも高校2年の5月にプロ棋士を決意しました。そして1年間、この決意が変わらなければ高校を中退して弟子入りしようと考えたのです。ところが、決意はひるむどころが高まるばかりです。高校3年の時、いよいよ中退して弟子入りすると言い出しました。親や担任教諭はもちろん大反対。三者懇を開き、先生が私を説得。私はテコでも決意を曲げるつもりはありませんでしたが、先生の一言「おまえは高校生活から逃避しようとしているのだろう」が、図星でもあって、高校を卒業することだけは約束することとなりました。そして3学期の2月早々、学業が1月で終わったことで、卒業式を待たず、上阪しました。そして高島一岐代当時八段に押し掛け入門。母がついて来ました。後に高島八段は、「親がついてきたから、入門を許した。もし1人だったら入門させていなかった。」と述懐しておられます。結局私はその日から三畳一間のアパート生活が決定。1ヶ月後の卒業式には、母が代理出席しました。
 さて古里では三段で指していたにも関わらず、高島道場では当初二段を認定されました。3月の奨励会入会試験では、当然受験を許されず、9月まで修行を余儀なくされます。それまでに四段の力を身につけ、奨励会を受験することとなるのです。
 奨励会試験では、6級で受験し、奨励会員の4級を相手に3連敗。通常はこれで将棋人生も終わることとなる訳ですが、当時奨励会員が少なかったこともあり、半年間で1階級昇級することを条件に6級での仮入会を許されました。その時の幹事は、確か故森安秀光氏(何段だったか忘れました)でした。結局半年満期の1回前の対局時点で、よいところから数え5勝4敗でした。忘れもしない3月4日です。この日3連勝すれば、8勝4敗で5級に昇級。2勝1敗ならはやりよいところから数え5勝4敗となるので、満期最終日の半月後に3連勝すれば昇級です。しかし、その2週間は、精神的にもたないと感じていました。つまり、それまで死と直面するほどの精神的重圧がのしかかり、とてもそれに2週間も耐えることはできないと直感していたのです。結果は3月4日、気がついてみれば3連勝でした。5級昇級、すなわち正規の入会が許されたことになります。その瞬間、当時の会場となった大阪北畠にあった関西将棋会館のトイレで泣きました。涙が止めどもなく溢れ、泣き続けました。
 思えば前日、師匠と稽古をつけてもらい、その将棋は勝たせてもらっていました。それだけでも奇跡です。その日、近くの銭湯へ出掛け、夜空の星を見つめ、明日に向けて決意をしたことが、脳裏に蘇って来ました。人生に於いて、こんなに泣き、涙し、それがいつまでも止まらなかった経験は、勿論始めてのことでした。
 その後私は最終的に3級まで行って、年齢制限の壁に阻まれ退会を余儀なくされます。退会時には、奨励会の例会日に、同僚の前で退会の挨拶をするのが習わしです。私は「将棋で生きていくことはできなくなったけど、それは人生において、一局の将棋です。決して後悔していません。この経験が、これからの人生において役に立つに違いありません。皆さん、ありがとうございました。」そんな挨拶だったと記憶しております。
 私は、進学高校で、進学しない卒業生が全体の1%しかいない中、その1%を選択しました。大学を棒に振りました。しかし、奨励会での経験は、私の人生において、誇りであるし、貴重な体験でもありました。ですから、今になっても決して後悔していません。これまで、一瞬たりとも奨励会を選択したことを後悔したことはありません。通常と異なる経験をさせて頂いたことを、本当にありがたく感謝しています。もし大学に進学していたとしたら、それこそ後悔したに違いないでしょうから・・・。
 そこでこれらの述懐を基に、私のアドバイスを申し上げます。年齢的に遅くても、チャレンジすることは非常に大切です。将棋の道を選ぶのは息子さん自身ですし、一旦選択したからには、迷わず突き進むこと。そして、どんな逆境に遭遇しても最善を尽くすこと。そして絶対後悔しないことです。将棋の様に形勢判断は対局者である息子さん自身です。そして一旦着手したからには、最善手順を指し進めて下さい。全ては自己責任です。本人が絶対後悔しないという自信があるなら、将棋の道に進めばよいと思います。